幸せは誰かと分かち合えば増大する
でも、それすらもしたくない、心地よさ…
Vol.9 言葉(dialogue)
美味い飯と酒。それにずっと気になっていたアイツの淹れるコーヒー
その全てを堪能して、家の前で車から降りたときの気分は上々だった。
めったに見上げることのない空には綺麗な三日月が浮かんでいて。
何をするでもなく、ただぼんやりとそれを眺めていた。
そんな緩やかな静寂を打ち破ったのは、無粋な携帯電話の着信音で。
「ちっ」
思わず舌打ちしてしまう。
医者といえども、歯医者なのだ。急患などということはあまりない。
まあ、たまにどうしようもなくなった奴が駆け込んでくることはあるがが、
それにしたって月に数回あるかないかだというのに。
なぜ、こんな日を見計らったようにかかってくるんだ…
「はい…」
着信相手もろくに確かめず不機嫌を隠しもせずに電話に出た俺の耳に、
聞こえてきた声は…ついさっきまで傍にいたアイツのもので。
「あ?もしもし、三蔵?寝て…ないよな。」
「あぁ。つい今しがた家帰ったばっかりだろうが。」
お前が送ったくせにとは言わない。
「ま、そうなんだけど。あ〜、のさ、今日はありがとな、来てくれて。」
素直に礼を言われると、いうべき言葉がどこかへ隠れてしまう。
「…別に、悟空にもいわれてたしな。」
そういうと、電話の向こうで小さく笑う声が聞こえた。
「うん、でもさ。とりあえず、ありがとう。俺は三蔵が来てくれて嬉しかったし?
だから、ありがとうってことで。」
アイツの表情を思い浮かべる。客相手ではない、プライベートの。
「…あぁ。」
無意識にそんなことをしてしまって、何だか恥ずかしくて。
口から出たのは平坦な相槌だけ。
「また来いよ。ちゃんとサービスするからさ。」
「そういうことなら、行ってもいい。」
本当は、言われなくてもそうするつもりだったかも知れないけど。
言い訳みたいに聞こえるけど。
そう、これは言い訳なのかもしれねぇな、自分自身に対する。
「はいはい。あ、三蔵…暇だったら月見てみ?すっげーキレイだからさ。」
「あぁ。俺も見てた。」
「マジで?気ぃ合うな〜」
そんなことを言って、また笑う。
「俺さ、満月よりも三日月の方が好きなんだよね〜。完璧なものより、何か足らない方が
キレイにみえねぇ?」
そこには何があるんだろうって、想像できるじゃん。
「…似合わねぇな。」
あのナリをして、以外にもロマンチストなことを言うから。
思わず出た感想だったのだが。
「う〜わっ、それはないだろ。俺けっこうロマンチストなのにさぁ。」
カクテルの名前とかだって俺がつけたりするんだぜ?
そう言われて。
そういえば、今日俺が飲んだものの中にもオリジナルだと言ったものがあったかも知れないと
曖昧な記憶を引っ張り出してみる。
「……あっ、三蔵明日も朝から仕事だろ?わりぃな、もう切るわ。」
無言になったのをどう解釈したのか、アイツがそう言った。
「いや…」
一体、この後何を言おうとしたのか。
気にしてない?それとも、まだ切るな?
「うん、まぁ、また来いよ。それに、連絡もしてくれたら、コーヒー淹れるから。」
お前、酒よりあっちの方が好きだろ?
見透かされたように言われて、少し動揺する。
「あ、当たり?な〜んかさぁ、コーヒー飲んでるときが一番リラックスしてたからさ。
こう見えてもちゃんと見てるんだって。」
子供が胸を張るような、そんな口ぶり。
「まぁな。美味かった。」
「うん、それなら余計に、来いよな?んじゃ。」
「あぁ。」
極短く答えて、電話を耳から離そうとした瞬間に
「おやすみ」
そのひとことが聞こえて。
アイツが電話を切る音を聞いてから、電話を切った。
その、「おやすみ」が心地よくて
思えば何年ぶりだろう?こうして他人の言葉を抱いて眠りにつくのは…
久しぶりに他人からもらった言葉だから?
それとも、アイツ…悟浄だから?
心の中で名前を呼ぶことにすら、抵抗を覚えるというのに。
何かが弾ける予感がする