かすかに残る気配
こんなに小さくて曖昧なものが
どうしてこんなに 大切なんだろう・・・
Vol.10 匂い(smell)
あの日・・・俺と三蔵がおんなじ月を眺めてたって知った時以来
三蔵はちょくちょく家の店に顔を出すようになった。
もともとあんまり家事が好きではないらしく、仕事の帰りには夕飯を食べて帰る。
次の日が休みならば、クローズまで俺の前で酒を飲むことも少なくない。
近頃では八戒や悟空以外のスタッフも三蔵のことを分かっていて、
仕事中の俺や八戒にも声をかけてくれるほどだ。
そして。
その時間は俺にとってはこれ以上ない幸せなときで。
同時に真綿で首を締め付けられるような、苦いものでもある。
なにしろ自分の気持ちを認めてしまったから。
別に俺は三蔵に色目を使う女達に嫉妬してるわけじゃない。
でもさ・・・
三蔵がひきつけるのは必ずしも女とは限らないこと。
まったくもってその手の店ではないのだが、注意してみると食事の最中にふと手を止めて
こちらを眺めている男が少なからずいるんだよな。
まあ、俺もその代表格なんだから何にも言えた義理じゃねぇけどさ。
けど・・・
正直酒を飲んでうっすら朱色に染まった顔とか、普段より表に出やすくなる表情とか。
そんなもんを本当に無意識で俺に振りまかれると・・・
自分がそんなことを思ってるっていうのが疚しいことのように思えるんだよ。
決して、そう絶対に三蔵の外見に惚れたわけじゃないけど
それは自信を持って言い切れるけど
それでも、俺もそういう男と差はないのかも知れないと思う。
「珍しいな。」
ぽつりと三蔵が言う。
「・・・ん?何が?」
「わかってねぇのか。その間がめずらしいってんだよ。ガラにもなく考え込みやがって。」
客こなくなるぞ、と。
「そぉか?ま、俺にだって、瞑想にふけることくらいあるって。」
そういって笑う。
『アンタのせいだよ。』
とは言えない。言わない。
うまく笑えてるかな、俺・・・
いつものように店を片付け。
「お先に失礼します。」
といって足早に出て行った八戒の背中を見送って駐車場に向かう
「げっ・・・」
最悪。最低。
そんな言葉が思い浮かんだとしても当然だと思う。
せっかく車検にだして間もない愛車に、どう好意的に解釈しても故意としか
思えないような傷がデカデカとつけられていたのだ。
「ちっ」
思わず舌打ちすると、電車に間に合わせるように急ぎ足で駅へ・・・。
そんな時
泣きっ面に蜂とでもいうのか、雨まで降り出して。
トランクに置きっぱなしの傘があったから濡れ鼠になるのは避けられたものの
それこそ俺のテンションは最低ランクまで落ちていた。
「おい。」
切符を買おうとしたときに突然背後から声をかけられた。
「あれ?お前帰ったよな、さっき。」
それはクローズまで待たずに店を出た三蔵のもので。
「煙草買ってたんだよ。」
ポタポタと髪の毛から水を滴らせて。
いらだたしげ気に吐き出された煙があいつらしい。
「で。お前車じゃなかったのか?」
「まぁね。それがさぁ・・・」
赫々然々と話し俺を見る目は、どんどん愉快そうになっていく。
「てめ、三蔵、楽しんでるだろ。」
くくく・・・と噛み殺すように笑う三蔵に思わず声を荒げると
「あぁ。」
当然のように答えが返って来た。
『間もなく下り電車が・・・』
そのアナウンスを聞いて急いで券売機の場単を押した俺を横目で見ながら
その金色に駅のライトを反射させて通り抜けていく。
「・・・っくしゅ」
となりで身震いする三蔵に
「とりあえず着てれば?」
といって上着を貸す。
「てめぇのだろ。」
そういって拒もうとするのも、らしいけど
「いいじゃん。俺は濡れてないもんね。」
極力軽く言ってやる。
そして
自分の精神力を試すような言葉を発してしまった
「ついでにさ、俺ん家くれば?三蔵のとこ駅から少しあるじゃん。」
傘も一本だけどあるし?
このひと言を後悔するのは、そう遠くない未来のことで。
家に入るとひとまず乾いたタオルを手渡して
「風呂わかすから待ってろよ。あと、コーヒーも淹れるから。」
「あぁ。」
大きめ伸ばすタオルの影で顔の見えない三蔵に向かって言う。
「あ〜、とりあえずそれ脱げって。」
俺の貸した上着と、三蔵の着てきた服を受け取る。
脱衣所のかごに入れる瞬間、マルボロとハイライトの混じった匂いがした。
それはちっとも不自然な香りじゃなくて・・・
そんな小さなことにまで反応してしまう自分は、なんて幼いのだろう。