「物理的距離」と「心理的距離」は必ずしも同じじゃない―――――




Vol.4 接近(closing)




あれから今日で三日。三蔵は・・・・・来ない。
やっぱり、たかが傘一本くらいどうでもいいよなぁ。
家に傘がないわけじゃないだろうし、その気になれば何処でだって売っているのだ。
こっちは玄関先に丁寧に立てかけておいているんだけど・・・・
そんなことは俺の勝手。

もしかしたらと思って、いつもより早めに店に行くのも
店に行く途中で、歯医者の建物を気にしてしまうのも
悟空を送っていく回数が増えたのも
全部。


「悟浄、ちょっといいですか?」
客のいなくなったカウンターで、八戒が持ってきた残り物をつまみに酒を飲むのも、ここのところご無沙
汰だった。
「最近、帰り早いですよね。出勤も余裕持ってますし…どうかしました?」
グラスを傾けながら八戒が問う。
「おまえさぁ、それじゃまるで俺がグータラだったみたいじゃん?俺、この仕事に関しちゃ真面目なつも
りなんだけど?」
あはは……と笑ってやつは言う。
「でも、じゃあ最近金髪に過剰反応してるように見えるのは何なんでしょうねぇ?」
思わず酒を注ぐ手を止めてしまった。マズイ、失敗した。これじゃあ、そうですって言ってるようなもん
じゃねぇか。
「歯医者さん、きれいな人らしいじゃないですか。」
悟空から聞きましたよ。
そういうと、うろたえる俺を残して席を立った。
「悪いんですけど、戸締りお願いします。じゃ、また明日…」

「八戒!」
去っていこうとする友人の背中を呼び止める。
「お前、楽しんでるだろ。」
振り返った八戒は、いかにも楽しそうに笑ってた。
「バレちゃいました?だって、あなたがそんな風に動くところ初めて見ましたから。」
じゃあ、お先に帰りますね。
通用口のドアが開いて、そして音をたてて閉まった。







車検中で、代用車に乗る気も起こらずに電車通勤にした。
1日目にして既に後悔し始めていたそのことに、あれほど感謝したことはない…

終電一本前の電車は、平日ということもあって人影もまばら。
そんな中、俺の乗り込もうとした車両の、正にそのドアの正面に。
三蔵がいた。
ちょっとウザそうに俺を見た眼にも動じることなく、俺は三蔵のとなりに腰をおろした。
「おまえー、いや三蔵さ、傘取りにこないわけ?俺、結構待ってたんだけど。」
「忙しかったんだよ。」
ため息とともに吐き出された答えに苦笑しながら
「あぁ、大学病院だっけか?」
と訊くと、
「悟空か?」
と短く訊き返された。
悟空が俺に教えたのかって?
「いや?あの歯医者の受付のおねーさん。」
にやっと笑って返した言葉に、隣で小さくちっと舌打つ音が聞こえた。
最寄の駅が近づいて、
「俺、次で降りるけど…」
というと、
「そうか」
という短い返事だけ。
でも
…あれ?
悟空の家の近くなら、もう一つ前で降りる筈じゃないのか?
そんなことを思っていた俺の目の前で扉が開いて。急かされるようにホームに降り立った。

三蔵も一緒に。
「あ?三蔵もこの駅だったの?」
驚きを隠しきれないまま顔を見た俺に、
「傘、返してくれるんだろ?」
シニカルに笑うと、唖然とする俺を残して歩き始めた。


ダメだ。こいつには、敵わない。
そう思わされた瞬間だった。












微かに気まずさを感じるほど、音のない空間。
玄関に立てかけてあった傘を見つけるとすぐさま踵を返そうとした三蔵を、コーヒー一杯飲んでいけと引
き止めたのは俺。ちゃんと、豆から挽いたコーヒーがぽたぽたと落ちていくのを確認しながら、リビング
のソファーに座った三蔵を見やる。
「三蔵、ミルクとか使う?」
「いや、ブラックでいい。」
ソーサーなんてないから、カップに入れただけのそれを持って。
テーブルに置く、コトリという音さえ、存在感を主張する。

ああ、俺ってば何でこんなに緊張してんだろ。
初めてのデートの時だって、それどころかHだって、こんなにドキドキしてなかったはず。
そんな俺の雰囲気を読み取ったのか、三蔵の仏頂面が崩れた。
「なにを神妙な顔してやがる」
「え?あぁ、ごめん。ちょっと考えごとしてた。それより、冷めないうちに飲めよ。ちゃんと豆挽いたん
だから。」
さっきのひと言で緊張が解けて、いつもの調子を取り戻しはじめていた。


「・・・・・うまい。」

それは、とても小さな、聞き逃してしまいそうな呟きだったけど。
俺を浮かれさせるには十分だった。

「だろ?バーテンだけじゃないってこと。」
「あぁ、そういえば悟空が言ってたな。」
やっと思い出した風な三蔵に脱力しつつも、俺は一番訊きたかった、気にならないフリをし続けてきた質
問を口にした。
「そういえば、三蔵と悟空ってどういう繋がりな訳?この前も仲良さそうだったし。まさか、弟とかじゃ
ねぇよな?」
気になる自分の気持ちが暴走しないように。出来る限り言葉を選んで。
「弟・・・・まあ、似たようなもんではあるな。俺は、悟空の両親に援助してもらったから。」
三蔵の両親は事故で亡くなったということ。悟空の父親が、三蔵の高校時代の恩師で、身寄りのない三蔵
に経済面での援助をしていたと言うこと。
感情的になるでもなく、三蔵は淡々と話してた。
まるで、他人のことかのように。
でも
「今こうして歯医者をやってられるのも、悟空の両親と・・・・・・悟空の、お陰だ。」
そう締めくくったときの三蔵の顔は、あの雨の日のようで。
その端に、微かに寂しさが入り混じっていた。

「そっか・・・・・・」
思った以上に深い話を聞いてしまって。
謝ることも出来ず、相応しい言葉が見つからず、俺はただ頷くことしかなかった。













「そろそろ帰る。」
言うや否や、玄関に向かおうとした三蔵に
「終電終わってるよ?」
と声をかけると、またしても小さく舌打ちするのが分かった。
「代車だけど、家の近くまで送るから。」
そう言って、傘をつかんで歩き出した。
送ってあげる、じゃない。送りたかったんだけどね。
何ていうか・・・他人に興味をそそられることってあんまりなかったから。
最近それが当てはまるのは、八戒。ただ一人だけだ。
だから、三蔵のことをもう少し見てみたかった。それに・・・・・・
考えてみれば、俺が質問ばっかりして三蔵が答えて。
俺のことは何にも知らないんだ。
なんにも、知ろうとはしなかったんだ。



別れ際。
コーヒー美味かった、とそういった三蔵に。
「じゃあ、また飲みに来いよ。今度は店に来て酒だっていいし。
仕事前でもコーヒーくらいなら淹れてやるしさ。」
女にも言ったことがないセリフ。
むしろ、時間前に遊びに来たいと言うのを断り続けてきたのに。
返事もなく、もちろん振り返ることもなくマンションに入っていった三蔵の背中に言ってしまうなんて。
俺に一片の興味も示さない、ほとんど初対面の男に。


自分の中で、明確な形を成そうとした感情に、わざと気付かないフリをした。
もし。三蔵がまた会いに来てくれたら、そのときはこの気持ちの存在を認めてやろう。
そう思って・・・。




Continue・・・






そんなこんなの第4話でした。いかがでしたか?
悟空との関係は、とりあえずこんなもんで。
「悟空が自分を救った」的なエピソードも載せたかったのですが、
あまりにも長くなってしまうなぁと。
いつか機会があれば、というか皆様の反応を見て・・・ということにしようかと(笑)

この話は、最後の悟浄のセリフと、
気持ちが書きたいがために作ったんですが・・・。
とりあえず、コーヒーを豆から挽くのは、私もです。
時間のある日・・・日曜日とかは。
そんな小さなこだわりのある男にしてみたくて。
なんか「違いのわかるオトコ」っていうどこぞのCMみたいです(笑)

蒼 透夜

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