第一印象は、「気にいらねぇヤツ」だった―――――――
Vol.1 衝撃( impact )
「悟浄、いいかげん歯医者行ったらどうですか?」
俺があまりにも左の頬を気にするからか、
八戒(俺の同僚、まあキッチンの方だけど)がもう何度目とも分からない科白を吐いた。
「あ〜、そのうち行くわ」
そういって、酒のビンを並べようと背を向けたのだが…。
「もう聞き飽きましたよ、その科白。一応客商売なんですから、少しは気にしてくださいよ。
大体、味覚に支障が出たらどうするんですか?」
それに…とやつは続ける。
「うっとおしいんですよね、中途半端にやせ我慢して。どうせ強がるんなら完璧に隠してくれないと。
それが出来ないようなら……病院行きますよね。」
満面の笑みでココまで言われると、正直言って恐い。
もう5年の付き合いになるが、その選択も間違っていたのかと思ってしまう。
でも…これ以上ごねても面倒になるだけ。
きっと次は、「もしかして恐いんですか?」とでも言うのだろうから。
「わかりました、行ってきます。でもよ、俺、歯医者なんてしらねぇんだけど。最近行ってねぇし」
すると、八戒はなにやら近くにあった紙ナプキンに書き始めた。
「これ、知り合いの歯医者さんです。悟浄の家の近くですから電話入れてみてくださいね。」
そういうと、そろそろ仕事しないと…といって、厨房へ戻っていった。
さてと。
俺はまだ時間あるし…とりあえずココに電話してみっか。
「はい、桃源歯科医院です…」
仕事を休むわけには行かないのでその旨を伝えると、運良く明日の昼過ぎが空いているという。
時間のことしか考えていなかったので、その時間に予約を入れた俺は、
「明日は院長の診察日ではないのですが構いませんか?」
という受付のお姉ちゃんの言葉に、大した注意も払わず二つ返事でOKした。
一晩明けて、歯医者に行く時間も近づいたのだが、どうにも気分が良くない。
というのも、八戒に言われたかもしれない「恐いんですか?」って科白、あれが強ち外れでもないんだわ。
昔、そうまだ小学生のとき、今みたいにやっぱり虫歯を放っておいて、随分ひどくなってから医者に見せたとき。
麻酔が大して効いてもいないのにガリガリ削られて、ほんとに全身突っ張るくらい痛くて。
でも、泣くのも癪だったからとりあえず跳ねそうになる体を必至に押さえつけた。
そしたら、その歯医者がさ、何も気付かずに笑顔で痛くなかっただろ?なんて訊くしさ。
あれ以来歯医者は嫌い、むしろ一種のトラウマかもしれない…。
やっとの思いで(というか、あとで八戒に言われる嫌味を想像して)歯医者の前にたどり着いたのは
予約の時間から5分ほど過ぎた頃だった。
待たされる間もなく診察室に通されて、助手のおねーさんにナプキンみたいのを巻かれて。
「少し楽にして待っていてくださいね・・・。」
そういわれて30秒と経たないうちに、先生と思しき人物がやってきた。
首を回すこともせず視界の端に映った白衣に向かって、
「よろしくお願いします。」
とだけ挨拶をする。と、
「そんなこという前に時間を守って欲しいもんだがな。」
と不機嫌を前面に出したような声が降ってきた。先生、と嗜めるように囁く助手の声に
微かに舌打ちしてその医者は俺の目の前にやってきた。
印象的な紫色の瞳、それに帽子(?)の端から覗く鮮やかな金髪。
思わず目を留めてしまうには十分な容姿だったが、ヤツはそんな俺にはお構いなしに
至極機械的に言った。
「で、今日はどうしたんだ?」
「え?あ、・・・っと、ここの、左の奥歯が虫歯で・・・」
らしくなく、しどろもどろしてしまったのは決してヤツを見てたからなんかじゃない。
「わかった・・・とりあえず診てみるか。」
椅子を倒されて、口の中を覗き込まれた挙句、あいつはため息とともに言った。
「随分と放っておいたんじゃねぇのか?まったく、ガキじゃあるめぇし。」
そこまで言われるほど酷いのかとショックを受けたのも一瞬で、
なんて口の悪い医者なんだと腹が立ってきた。
「おい、これから歯ぁ削るが、麻酔はどうする?暫く、そうだな2,3時間しびれるかも知れねぇな。」
2,3時間というと・・・4時か5時って所か。
4時ならまだしも、5時となるとちょっとキツイ。
「なら、軽めにかけるか。ただし、その分痛みは我慢してもらう。」
悪夢再来というか、トラウマをまた抉られるのかという不安がよぎった。
「口開けてくださいね。」
目隠し代わりの布を俺の瞼にのせて助手が言った。
視覚が失われた分他の感覚が敏感になってるのを感じる。
麻酔は効くのだろうかとか、どれくらい削られるのだろうかとか。
「じゃあ、まずは粘液の麻酔をしますね。」
言われてすぐに苦いとも甘いともつかない味が口の中に広がった。
「麻酔打つぞ。」
短い言葉とともにほんの少しチクリとしたあと、歯茎が固まったような妙な感覚に襲われて・・・。
結論から言うと、その日俺が感じた痛みは麻酔のそれだけ。
あとは何も感じないまま、あっという間に治療は終わった。
口は悪いが腕はいいのだ。
お陰であの時のような恐怖を体験することもなく、
ほっとした気分で診察室から出ようとした俺に
「もうすこしちゃんと歯磨きしとけ。」
と、まるで子供に言うかのような言葉が投げられて。
「次は2週間後くらいになりますが・・・」
と言われ、適当に空いてる時間の中から仕事に差し障りのなさそうなところを選んだ俺は、
ご丁寧なことに裏に次回の診察日時の書かれた診察券を手に、そこを後にした。
思いの外簡単に済んだ治療に満足しつつ、俺の関心はあの口の悪い敏腕歯科医に向けられてた。
「ったく、いくら顔が良くてもあの口の悪さはどうなんだか・・・。」
「外見があまり良くない人よりも、外見が良い人の内面が悪かったりすると、
よけいに悪い印象をもちやすい」のだと、いつだったかテレビで言ってたっけ・・・。
それに当てはまってんのかもなぁ・・・なんて思いつつも、左頬の痛みが引いた分、
昨日よりも軽い気持ちで店の戸を開けた。
良くも悪くも強烈な第一印象を持ったアイツへの「気にいらない」が、
「気になって仕方ない」に変わる日を、まだ誰も予感すらしていなかった。
もちろん、それは俺も・・・。