目は口ほどにものを言う、そういうけれど・・・
その人の奏でる音は、他の何よりも雄弁だった


Fascinating Rhythm
 



その日、間もなくやってくるバレンタインのその日にライブをするとかで、俺はとあるライブハウスの
ピアノを調律に来ていた。ライブハウスというよりはもう少し落ち着いた感じの建物。これならばクラ
シックをやったって様になるんじゃないかと思う。どちらかと言えばサロンに近い作りに、モダンな家
具。一見ミスマッチなそれは、なんとも不思議な雰囲気を漂わせていた。そして、なによりも驚いたの
は・・・
「スタインウェイじゃねぇか・・・」
コンサートホール用の長いタイプではなかったが、れっきとしたスタインウェイのピアノ。こんなとこ
ろで眠ってるにはもったいない・・・
「あ、これはどうも。よろしくお願いします。」
店のオーナーと思われるヤツがやってきて軽く挨拶をする。
「これ、暫く使ってないのか?」
もしそうならば、それなりに入念に調律しなければならない。
「いえ、音程が狂うほどではないと思いますが・・・」
「そうか。」
とりあえず弾いてみないことには始まらない。
カタンと蓋を開けて、いくつかキーをたたいてみる。
「悪くねェ・・・それほど時間はかからないだろう。」
「そうですか。では、私は向こうの事務所におりますので・・・終わったら声をかけてください。」
そういうと、男はまた礼をして踵を返した。






暫く、微妙な音程のズレだとか、緩んだところを治したりだとかして。
そろそろ終わろうかと思ったとき・・・
「なぁ、それさ、もうちょっと甘い音の方がイイんじゃねぇか?」
突然の言葉に振り返ると、先ほど自分が入ってきた入り口のところに、その男が立っていた。恐らくは
人ごみの中でも際立って見えるだろう紅い髪と、黒いロングコートのコントラストは、それこそ衝撃的
だった。
「なんだ、てめぇは。」
自分の仕事にはそれ相応のプライドを持っている。だからこそ、こんな何も分かってなさそうな男にと
やかく言われたくなかった。
「ん〜?まぁ、いいじゃん。たださ、ほら、バレンタインライブなわけだし。甘い曲も多いだろ?」
そういって、その『いかにも遊んでます』な男はニヤリと笑った。
そこへさっきのオーナーがやって来て
「お、悟浄来たのか。」
『遊んでます』男に向かって親しげに声をかけた。
「あ、おっさん元気?」
「おい、おっさんはねぇだろ?このクソガキ」
さっきまでの丁寧な言葉づかいはどこへ行ってしまったのかと思うようなくだけた雰囲気に、
俺は暫く居場所を無くしてしまった。
「あ、三蔵さん。紹介します。私の知り合いの沙悟浄、明日演奏するっていうのはコイツのことなんで
す。」
は?
俺の頭の中に浮かんだのはそれだけだった。
この『遊んでます』が、演奏をするだと?
「ま、そういうことだから。音、よろしくね。」
アイツはそういうと、さっさと俺の横を通り過ぎてピアノの前に立った。
「贔屓目を抜きにしてもね、コイツはセンスあると思うんですよ。きっと、三蔵さんも気に入る音だと
思います。」
オーナーは固まってしまっていた俺に向かってそんなことを言った。
「なぁ、三蔵?」
背後から呼び捨てにされて、思わず睨みつける。
いきなり呼び捨てか・・・その容姿を裏切らない行動に、やっぱりコイツがピアノなんて・・・と思う。
「ちっ・・・なんだ?」
「お前も弾けるんだろ?なんか弾いてよ。」
そのあと音もいじってね。
そう言うと、あいつはさっさとイスを引いて、俺をそこに座らせた。


確かにピアノは弾ける。
昔、人に言われてコンクールを受けたこともある。
けれどそれはクラシックに限ったことで。
「何でもいいからさ、短めの小品とかで。出来れば音域広いやつね」
迷っていた俺にひと言かけると、そこを離れて客用のイスに腰をおろした。



結局ヤツに言われるがまま、短い曲を3曲ばかり弾いて。
いつも触っているのとは違うピアノ。音響のいい空間。
そんなもののおかげで、俺はだいぶ上機嫌になっていた。


「う〜んとね・・・Aの音をもうちょっと・・・ん、そんな感じ。それで・・・」
俺が弾いている間にどうやら色々な音を見ていたらしい。
弾き終わるや否や、いくつかの注文をつけてきて。
それはもの凄く微妙な色加減だった。こういう小さなところで弾く、おそらくはアマチュアなのだろう
人間の耳とは思えない。
「で、てめぇは何も聴かせねぇのか?」
一通りの注文に答えたあとで訪ねると。
「ん?それは明日のお楽しみ〜。ってことで、三蔵も来いよ?」
おっさんに話はしとくから、入れてもらって。

そういうと、来た時と同じように黒いコートをまとって、ひらりと身をかわすように消えていった。









本当は、仕事だけ済ませたら帰るつもりだった。
けれど、家に帰る途中でふと気付いてしまった。
何故アイツは、俺がピアノを弾けると、しかもクラシックだと言うことを
知っていたんだろう・・・
あんな派手なやつ、名前はともかく見たら忘れない筈なのに。

それを確かめたいのもあって、次の日の夜俺はまたあの店にいた。
バレンタインだからなのか、店の客は8割方がカップル。
そして中にはあの男目当てなのだろう、女同士できているものも見受けられた。

店内の照明が落ちて、静寂に覆われる。
そこへ、ひとつひとつアイツの音が放り出されていく。
「甘めに」と望んだ音がが、どこか切なげな旋律として織られていくのは
クラシック以外のピアノを知らない俺でも十二分に魅力的に感じた。
どんな曲なのかなど知らない。
でも、ピアノからアイツの手が離れた瞬間
ひっそりと静まり返ったその空間を切り裂いたのは、拍手ではなく溜息だった。
曲と曲の間に短い紹介や、MCめいたものを織り交ぜながら、
アイツは次々と曲を奏でていった。
オープニングのしっとりとしたバラード調から、スィングジャズ、モダンジャズ。
途中でいきなり
「CM大会〜!」
などと言い出して、巷で良く聞く耳慣れた曲ばかりを少しづつ繋げていったのには
会場から笑いももれていた。
それ以上に、色々な曲調のものを弾きこなし、
自分流にアレンジも加えながら纏めているその力量に感心したりもしたが。


そんな具合に、すっかり一観客になっていた俺の耳を疑うようなことが起こったのだ。


「実はさ、今日もう一人ゲストを呼んであるんだ。」
突然そう切り出したアイツに、会場はどっと沸きあがる。
「そいつのピアノも一曲聴いてほしいから・・・上がって来いよ。」
そう言われてもまだ、俺は自分のことだなんて思わなかった。
俺の方をじっと見つめる、あの紅い目に気付くまでは。


「なに言ってやがるっ」
『ふざけんな』
そう、声を出さずに伝える。
『いいじゃん、お前の音好きだし』
そう悪びれる風もなく言ったあいつの言葉に乗ったのは、きっと
あのスタインウェイの音に引かれたからだけじゃない・・・。


「えーと、それじゃあ、がらっと雰囲気を変えて・・・クラシックを1曲聴いてください。」
マイクに向かって、幾分落ち着いた声で話すと、
今度は俺の耳元で
「何でもいい。アンタの・・・三蔵の音聴かせて?」
そう囁く。
思わず身を竦めたくなるような声。キモチイイと思った俺は、やっぱりオカシイのだ。

席について、何を弾こうか迷った。
単純に心地よいものにしようかと思った。
今日ここにいるやつらはみんな、クラシックから遠そうだから。
でも・・・
ある考えが脳裏に浮かんで、俺は思わずほくそ笑んだ。
結局俺が弾いたのは、すこし現代っぽい変奏曲。

そして、弾き終わった俺を迎えた拍手の中で、アイツにいったのだ。
「お前の実力を見せろ。」
と。そう、いわばこれは挑戦状。
そしてアイツは俺の思った以上の返答をしてきた。




「というわけで、三蔵でした。」
そこで一旦言葉を切って、深く息をつき・・・アイツは続けた。
「実はね・・・三蔵から俺に宿題が出ちゃったんだよね・・・。
JAZZってのは、みんなも知ってると思うけど、アドリブが多い。
それで、三蔵が俺に出した宿題も、それなわけ。
みんな、さっき三蔵が弾いた曲、もう一回思い出してくれ・・・
んじゃ、次の曲・・・」


そういったアイツが創りだしたのは、さっき俺が弾いた曲の『沙悟浄バージョン』だった。
普通、クラシックをアレンジすると野暮ったくなったり、原曲と大差なかったり
そんなことが多いのだが・・・。
その時聴いたものは、そんな固定観念を打ち破るには十分だった。


「こんな感じにしてみたけど・・・どうだった?」
再びマイクを持つと、あいつは客席に向かって問い掛けた。
視線は、俺に向けたままで。
『悪くねぇ』
また、声に出ださずに伝える。
「うん、ありがとう。」
そういって、一瞬笑った顔は、今日見た中で最高のものだった。



そう、全てはこの1曲から始ったのだ――――





こんな、むちゃくちゃな出会い方をした俺たちが、そのあと一体どうなったか・・・?
それは、また、別の話。





Fin




2日遅れのバレンタイン企画。
以前からやりたいと思っていた、ピアニスト&調律師です。
てゆーか、音楽ものがやりたかった・・・(笑)
JAZZにしたのは私がJAZZをやってるから、だけです。
ただ、確かにあのアドリブっていうのは、もの凄く「センス」って言う言葉に
集約されるんじゃないでしょうか。
それが楽しいところでもあり。そして、それで判断をされてしまうっていう辛さもあり(笑)。
ここに書いた、クラシックをアレンジというのは、前にドヴォルザークの『新世界から』を
JAZZアレンジしたのを聴いたことがあるから、です。
私的にはあんまりイケてなかったけど(苦笑)

そうそう、タイトルのFascinating Rhythemは、
もはやスタンダードで誰の曲か良く知りません(オイ!)。
私が聴いたのは、Sammy Nestico のだったとおもいます。

とりあえず、これは続くんでしょうか・・・?
みなさんからの反応によります。
お願いします、カキコください。
最近少なくて、本当に少なくて・・・泣きそうです(笑)
透夜でした。

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